野登寺には、時代を超えて語り継がれてきた二つの夢の伝承があります。 一つは平安時代の天皇の夢、もう一つは現代に起こった観音様との不思議なご縁です。夢によって人々が導かれ、現在も祈りが受け継がれてきております。
醍醐天皇の霊夢と野登寺の建立
野登寺の縁起によれば、900年ごろ醍醐天皇は夢のお告げにより鶏足山の霊地を知り、勅使を派遣しました。910年(延喜10年)に野登寺の伽藍を建立したと伝えられています。野登寺の歴史は、この一夜の夢から大きく動き始めました。
夢見観音の伝説
1978年(昭和53年)頃、一人の老婆が不思議な夢を見ました。夢の中で、「実家の井戸に観音様がおられる」とのお告げがあったといいます。家族は半信半疑でしたが、何度も同じ夢を見ることから井戸を調べたところ、井戸の底から千手観音像が発見されました。この観音様は後に野登寺へ迎えられ、「夢見観音」として大切にお祀りされています。
時代を超えて受け継がれる夢のご縁
平安時代には天皇の夢によって寺が建立され、現代には一人の女性の夢によって観音様が見出されました。千年以上の時を隔てながら、野登寺には「夢によって導かれる」という不思議なご縁が受け継がれています。参拝に訪れる方々にも、仏さまとの新たなご縁が結ばれますよう、心よりお祈り申し上げます。

Gemini によるお告げのイメージイラスト
参拝や観光においでになる方へ
野登寺には、野登山山頂付近にある上寺(うえでら)と、麓にある下寺(したでら)がございます。
上寺は標高約800メートルの山頂付近に位置しており、天候や季節、道路状況によっては参拝が困難となる場合がございます。お越しの際は事前に状況をご確認いただき、無理のない範囲でご参拝くださいますようお願いいたします。
また、上寺は山中にあるため設備が限られており、トイレは簡易トイレのみとなっております。特に女性や小さなお子様をお連れの方は、あらかじめご留意くださいますようお願いいたします。
上寺の伽藍、史跡などにつきましては、こちらを参照ください。
今から千百年も昔のことです。醍醐天皇(在位897~930)はある夜、夢の中に菩薩(仏さま)が現れ、お告げを受けられました「私は、伊勢の国鶏足山に住み、民衆の安穏を祈っています。今この国は乱れ、田畑は荒れ人々は大変困っています。どうか帝の力でこの災禍を取り除いてください」と言われ消えてしまいました。夢から覚められた帝は不思議に思われ、すぐさま勅使を鶏足山に使わされました。
都からはるばるとやって来た勅使はふもとで道に迷って困っていました。そこへ「三本足の鶏」が現れると、勅使の裳裾をくわえ山頂へと案内してくれました。山頂には、清泉がこんこんと湧き出て老杉悠々と繁り、あまりの幽玄さに勅使は立ちつくしていました。すると、いずこからともなく老僧が現れ「勅命により、ようこそ鶏足山にお越しくださいました。私がご案内します」と言って御堂に上がり、扉を開きますと、身の丈七尺五寸(2.2
m)の眩いばかりの千手観音さまが祀られていました。老僧は、うやうやしく千手観音さまを拝して「この観音さまは、天照皇太神さまお手ずから彫られたもので、数十年来、天照皇太神さまよりつかわされた神職二人がお仕えしておりましたが、その後は二羽の鵲(カササギ)がお世話してまいりました。千手観音さまは、人々の願いに応じてさまざまに姿を変えられ、お救いくださるありがたい仏さまでございます」 と申されると姿を消されました。ハッとわれに帰った勅使はたいそう驚き、あの老僧こそは、千手観音さまの仮のお姿であろうと思って、一心に伏し拝み、急ぎ山を下りました。
勅使の報告を受けられた帝は、ご霊夢の真実に驚嘆され、早速京の都で高名な仙朝上人を中興開山として遣わされました。帝は諸国から銘木を運ばせ、伽藍の建立を命ぜられました。仙朝上人は勅命をありがたく拝して、早速腕の立つ大工や細工者を野登山に送り込み工事に取り掛かりました。こうして907年(延喜7年)作業が始まり、910年4月7日に見事な伽藍が建立され、厳かに落慶法要が執り行われました。
以来680年の間、寺僧は100人を超え、朝夕の読経礼拝の響きは山々に流れ、野登寺はたいそう繁栄しました。
ところが、420年前の天正11年豊臣秀吉の亀山城、峰城攻めの際、伽藍はことごとく焼き払われ、寺領は没収されました。古来野登寺は亀山城主の祈願所でありました。江戸時代に入ると1601年(慶長6年)野登寺
第28世 盛栄 は、亀山城主関長門守一政公の寄進により本堂、庫裡、鐘楼、山門を再興しました。それ以後、津城主藤堂高次公はじめ、亀山城主代々の祈願所として厚い庇護を受けてきました。
上寺は1701年(元禄14年)亀山城主 板倉重冬公により本堂が再建され現在に至っています。
1717年(享保2年3月)野登寺 第32世 敞栄 のとき、城主 板倉重治公は新たに下寺を建立して、護摩堂、庫裡、山門、本尊千手観音さまを寄進され、祈願所とされました。
まことに千手観世音菩薩の霊応霊感はありがたく、こんにちも多くの檀信徒が参拝されます。
※鵲(カササギ)=全体は金属光沢の紫色、尾が長く、頭、背、胸、下腹は黒、腹と肩は白く目立つ。カシャ、カシャと 鳴く(天照皇太神と縁が深い鳥といわれます)
※中興開山=一度盛んになったものを、再び盛んにすること

Gemini による縁起のイメージイラスト
野登寺のご本尊である千手観世音菩薩(秘仏)の御開帳は60年に1度と伝えられています。けれどその間に半開帳があるため、実質は約30年ごとに行われてきました。ほとんどの寺院のご本尊である仏像は偶像崇拝の対象であるため目に見えますが、祈祷を中心とする野登寺は、神道による神社の本殿の扉と同じく普段は堅く閉ざされており、祭祀の時にのみ扉が開かれることと類似し、開帳の時だけしかご本尊をみることができません。
前回の御開帳は2004年(平成16年)であり、ご拝観後、非常に多くの方々から「観音様から力を頂けて良かった」とのお言葉を頂戴しました。

井戸から現れた千手観音さま
これは、井戸の中から現れた千手観音様にまつわる不思議なお話です。
1978年(昭和53年)頃、ある老婆が毎晩のように同じ夢を見るようになりました。その夢には観音様が現れ、「菰野町にある実家の井戸に私が埋まっている。掘り出してほしい」と告げられたといいます。
知らせを受けた実家の人々は、さっそく井戸をさらえましたが何も見つかりませんでした。しかし、その後も老婆は同じ夢を見続けました。そこで再び井戸をさらえましたが、それでも何も出てきませんでした。
不思議に思った家族は、新たに観音像を迎えてお祈りをしましたが、それでも夢は終わりませんでした。そして三度目に井戸をさらえたところ、色こそくすんでいたものの、一体の千手観音様が姿を現したのです。
その後、この観音様をお祀りしていただける寺院を探したところ、ある行者より野登寺を紹介されました。こうして、野登寺の御本尊と同じ千手観音様が、この寺へお迎えされることになったのです。
ご参拝の際には、千手観音様の真言である「オン バザラ タラマ キリク」、あるいは「南無千手観音」とお唱えし、御仏とのご縁をお結びください。心静かに祈りを捧げることで、観音様から何らかのお導きやお告げをいただけるかもしれません。

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